広島駅前と広島の中心街・本通りに店舗を構える「92-NINETYTWO-」。代表の安部春輝氏は、日本でいち早くサフィールのシューケアトレーナー資格を取得し、広島初となるカウンタースタイルの靴磨き専門店をオープン。2019年には「靴磨き選手権大会」でベスト4入りを果たした実力者だ。最近では、靴磨きの会員制サービスやフランチャイズ展開を始めるなど、常に新しいことに挑戦し続けている。その原動力の源は何なのだろうか。
中四国エリアで唯一のサフィール認定ショップである「92-NINETYTWO-」。その店内で、パリッとスーツを着こなし、靴を磨く姿が絵になる代表の安部氏。だが、意外にも幼少期はファッションに触れる機会はまったくなかったとか。
「出身は島根県飯南町です。農業と畜産が盛んで、革靴よりも長靴を履いている人がはるかに多い田舎で育ちました。スポーツに熱中していて、地域で盛んだったスキーでは、インターハイや国体に出させてもらいました。高校の部活で始めたハンドボールでは、島根県選抜の選手になって国体に出場しました。小さなまちでアルバイトをする先もなかったので、高校を卒業するまではスポーツばかりしていました」
高校卒業後は、都心に出たいという一心で、広島の専門学校へ進学。その専門学校時代にファッションに目覚め、靴磨きに出会った。
「もともと音楽が好きで、専門学校時代はアルバイトが終わると、よく深夜に路上ライブをしていたのですが、そのときに、路上ライブをしながら全国を回っているという面白い友人と知り合いました。彼はめちゃくちゃ歌がうまくて、いつもヤマハのビンテージギターを担いで、Tシャツにダメージデニム、〈レッドウイング〉のエンジニアブーツというスタイル。その出で立ちがあまりにもかっこよくて、彼に影響されて同じブーツを買ったんです。それがはじめて手にした革靴だったと思います」
何事もハマると夢中になる性格。〈レッドウイング〉のエンジニアブーツをきっかけに革靴に興味をもつようになり、学生ながらアルバイト代を費やして〈オールデン〉や〈トリッカーズ〉など、有名ブランドの靴を買うようになった。
社会人になってからも革靴熱は冷めず、休日になると革靴を履き、自己流でケアもするようになった。磨き方が分からなかったので、靴を購入したショップなどで聞いてみるものの、納得できるような答えは得られない。そこで頼りにしたのは、シューシャイナーが出ているYouTube動画だった。
「靴磨きの方法を調べたいと思っていろんな動画を見ていたときに、たまたま見つけたのが南青山・骨董通りの靴磨き専門店『ブリフトアッシュ』を立ち上げた明石優さんが出ている動画です。その動画で、靴磨きを仕事としてやっている人がいることをはじめて知り、カルチャーショックを受けました。専門学校時代に飲食店でアルバイトをしていたときから、いつか自分も独立したいと思っていたのですが、何がしたいのか、核となるものがなかった。明石さんの動画を見て、独立するという夢と靴磨きが結びついたんです」
趣味で楽しむものだと思っていた靴磨きを仕事にしている人がいる。衝撃を受けた安部氏はすぐにSNSを通して明石氏にメッセージを送った。すると返事があり、その後上京した際に会うチャンスを得て、仲を深めていった。
「これは裏話ですが、明石さんが引っ越しをすることになり手伝って欲しいと頼まれて、喜んで駆けつけました。それがすごくいい時間だったんです。一緒に引っ越しの荷物を搬入して、明石さんが運転する車の助手席に乗って移動するのですが、その車中でいろいろいな話をしてくれました。靴磨きクリームの使い方、店舗営業のノウハウ、業界の人間関係…。無償で引っ越しを手伝っているからなのか、惜しみなくなんでも教えてくれるんです(笑)。その日から気持ちにスイッチが入り、どうやって靴磨きで生きていくかを真剣に考えるようになりました」
靴磨きにサフィール製品を使い始めたのも、明石氏の影響なのだとか。「サフィールがすごくいいと聞いていたので、まずは明石さんを真似てクリームやブラシを揃えました。使っているうちに自分でもよさを実感するようになって、ケア用品はすべてサフィールを愛用するようになっていました」。
あるとき、東京で靴屋をオープンするという知人からの誘いで、ショップのオープニングイベントで靴磨きをする機会があった。靴を磨いていると、「サフィールで磨いているの?」と声をかけられた。その相手は、某有名デパートの婦人靴バイヤー。サフィールを愛用していることを伝えると、その場でサフィールの担当者と電話でつないでくれた。その縁がきっかけで、安部氏はまだ独立する前にもかかわらず、サフィールとパートナーシップをもつ約束をとりつけることになった。
胸に輝くのは、サフィール シューケアトレーナーの資格保有者に授与されるバッヂ
その出会いからほどなくして、若干24歳でサフィールのシューケアトレーナー資格を取得。当時できたばかりの認定制度で、安部氏は日本初という称号を得た。翌年には、広島市内にカウンタースタイルの靴磨き店をオープン。シューシャイナーとして踏み出すきっかけにもなったサフィールは「これからも一生使い続けます」というほど、安部氏にはなくてはならない相棒のような存在だ。
現在、「92-NINETYTWO-」は広島駅前にある蔦屋家電と広島の中心街・本通りにある複合ショップ「べっぴん店」に店を構え、安部氏を含む4名の個性豊かなシューシャイナーが在籍している。彼らが大切にしているのは、職人であると同時にエンターテイナーであるということだ。
「靴磨きの面白いところは、技術を極めて靴をきれいにするという職人的な側面だけでなく、自分の手で磨いた靴で喜んでいただいたり、感動していただいたり、お客様の成功体験につながったりするということです。そういったお客様との出会いを大切にしたいと思っています」
その思いは店の造りにも表れている。店舗には靴磨きカウンターがあり、来店したお客様はドリンクを飲みながらカウンター越しにシューシャイナーとのおしゃべりに興じ、目の前で靴が磨かれていく工程を楽しむ。まるでなじみのバーに来たように、くつろいだ時間を過ごすことができるのだ。
「92-NINETYTWO-」ではビスポークシューズや別注モデルの販売にも力を入れている。吉見鉄平氏による〈RENDO(レンド)〉や、高野圭太郎氏の〈クレマチス銀座〉など、靴好きにはたまらないビスポークの受注会、「92-NINETYTWO-」でしか手に入らない別注モデルの販売などが好評だ。また、ジャケットやスラックス、ジュエリーブランドなどとコラボしたイベントなども次々と開催している。
2019年には、全国的にも珍しいサブスクリプション型の会員制度を導入。会員になると、定額で何足でも靴を磨いてもらえるという画期的なサービスだ。会費の1%は子どもたちへの寄付にあて、会員の社会貢献にもつなげている。今後は、会員向けサービスをより充実させ、会員同士のコミュニティづくりにも注力していく。
靴磨き専門店をフランチャイズ展開する動きもある。これまで自社でシューシャイナーを育ててきた安部氏だが、シューシャイナーを全国にもっと増やしたいと、「92-NINETYTWO-」がプロデュースする店舗を展開していこうと考えている。2021年11月には、プロデュース第一号店が福岡・博多駅近くに誕生した。
「92-NINETYTWO-」は多彩なサービスを次々と展開しているが、その根底には、「靴磨きを文化にしたい」という想いがある。
「靴磨きを文化にするというのは、靴磨きを生活に溶け込んだ習慣の一つにするということです。靴磨き専門店が全国に100店舗あったら、たくさんの人の目に触れて、靴を磨こうと考える人が増えていくと思います。そのためのフランチャイズ展開や靴磨きの会員制度なのです」
シューシャイナーをもっと夢のある仕事にしたいという想いもある。安部氏自身、シューシャイナーという職業を知り、先駆者たちの背中を追いかけながら、自分の夢を叶えてきた。先輩たちから与えてもらったものを次世代へ、よりよいかたちで引き継いでいきたいと考えている。
「『ブリフトアッシュ』をはじめ、業界の先輩たちが新しい靴磨きの価値を構築し、文化をゼロからつくり上げてくれた。それを受け継いだのが私の世代。だから私たちはさらに靴磨き文化の裾野を広げ、新しいビジネスモデルをつくって、シューシャイナーを夢のある仕事として確立していきたいと思っています」
これからも、今までにないサービスを構想中だという安部氏。その試みが一つずつ実現していくのが楽しみだ。次回更新では、「92-NINETYTWO-」のサービス内容について話を聞く。
92-べっぴん店–
TEL:082-545-3017
広島県広島市中区本通り3-8 BEPPIN-TEN 本店2階
11:00〜19:30
水曜定休
https://www.92ninetytwo.com
Instagram/ @92_ninetytwo_hiroshima