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我らが貴婦人は蘇る

サフィールのメーカー アベル社が取り組んでいる社会貢献について、以前 クレム1925が愛される4つの理由 その1でも触れました。

今回は、サフィールのメーカー アベル社の取り組みのひとつ、ノートルダム大聖堂復興の支援についてご紹介します。

このノートルダムはフランス語で『我らが貴婦人』の意があり、パリを象徴するものの一つで、12世紀に着工、100年近い歳月を経て完成した、ゴシック建築を代表する建物です。1991年には、周辺の文化遺産とともにユネスコの世界遺産に登録されました。

 

2019年4月15日夕方、フランス パリの中心部にある、ノートルダム大聖堂で大規模火災が発生。高さ約90メートルの尖塔やその周辺の屋根が激しく燃え、尖塔は火災発生から1時間後には崩落。その後、16日未明に鎮火されましたが、その様子はフランスの国民にとって悲しく絶望的な出来事であり、世界中に衝撃を与えました。

日本でも大きく報道されたので、たくさんの方にこの出来事が認知されていることでしょう。

 

 

 

ノートルダム大聖堂復興支援特別パッケージの ノワールレザーバームローション

1302年に現在の国会にあたる三部会が開催されてから、この伝統は500年続き、かの有名なフランス革命のときには攻撃され、彫刻や家具などが壊されたりと、850年以上もの長い歳月をフランスの国民とともに歩んできた歴史の中で、栄光と悲劇を繰り返してきたノートルダム大聖堂。一時は荒廃が進み取り壊しも検討されましたが、1801年ナポレオン・ボナパルトによって救われます。1804年、この大聖堂でナポレオンの戴冠式が執り行われ、「フランス第一帝政」が幕を開けます。

 

1831年には、フランスの詩人で小説家のヴィクトル・ユーゴ―の小説『ノートルダム・ド・パリ』(邦題『ノートルダムのせむし男』)が出版され、その絶大な人気に後押しされる形で、1845年に修復が開始され、約20年後の1864年に修復が完了しました。
この小説の原動力となったのはユーゴーのゴシック建築に対する愛ですが、彼は同時に建築が芸術形態として理解されていないことを懸念していました。ノートルダムの未来に大きな不安を抱いていた彼は、このモニュメントに対する意識と理解を深める手段として小説を用いたといわれています。

この大聖堂修復には、30代という若さのウジェーヌ・ヴィオレ・ル・デュクとジャン・バティスト・アントワーヌ・ラシュスの計画が採用されます。
主要なファサード(建築物の正面部分の外観)の修復と、撤去された尖塔の復元などの重要な工事が追加され、その作業は大規模なものとなりました。
志半ばで他界したラシュスの意志をも引き継いだ、ヴィオレ・ル・デュクが修復を完成させます。

現在、ノートルダム大聖堂で私たちが目にするものの大半がこの時期に修復されたものです。

 

第二次世界大戦のパリ解放の戦いでは、レジスタンスの本拠地になった県庁や警視庁へ、ドイツ占領軍の攻撃をかいくぐって到達し、この大聖堂に三色旗が掲げられました。解放直後の1944年8月26日には、ドゴール将軍を筆頭にシャンゼリゼから行進し、ノートルダムで勝利の讃美歌が歌われました。

 

パリには欠かせない観光名所は数あれど、フランス革命以前からそこにあるノートルダムは1000年近い歴史を貫き生き続け、良い事も悪い事も見守り存在しています。

芸術と歴史をこよなく愛するサフィールのメーカー アベル社は、このフランスの宝とも言えるノートルダム大聖堂の復活を積極的に支援しており、修復費用として多額の寄付を表明しました。

さらには、世界中のサフィールノワールユーザーに向けて、サフィールノワール レザーバームローションを購入すると1ユーロが寄付されるという仕組みを取り入れ、ノートルダム大聖堂復興支援パッケージ(数量限定)を発売しました。

修復・復興を支援する寄付は、フランス国内のみならず、世界中から集まっており、国を超えて支援の輪が広がっています。
2019年の大火はこのモニュメントの歴史に刻まれた新たな悲劇ですが、かつてのように、我らが貴婦人は蘇り、その物語を紡ぎ続けることでしょう。

 

 

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