石川県金沢市のオーダースーツ専門店の一角で営業していた北陸エリア唯一の靴磨き専門店「金沢靴磨き Symphonik Wolfe」。
開業から3年半。シューシャイナー・相賀善博氏は、ついに念願の独立店舗の出店を果たし、2023年4月15日(月)に新店舗がグランドオープンした。
新店舗がオープンしたのは、前身の店舗と目と鼻の先にあるロードサイド。
北鉄石川線の起点となる野町駅から10分ほど歩くと見えてくるレンガ色のビルの1階に、相賀氏の店舗はある。
小ぶりなサイズ感ではあるが全面ガラス張りで解放感があり、シックな雰囲気が漂う。
正面のガラス扉に掲げられたロゴには、「LOG IN KANAZAWA」の文字が。
新店舗をオープンするにあたり、心機一転、屋号を「Symphonik Wolfe(シンフォニック ウルフ)」から「LOG IN-kanazawa-(ログイン カナザワ)」へ大幅リニューアルしたのだ。
知る人ぞ知る隠れ家的存在として北陸地方の人々に愛された「Symphonik Wolfe」。
すでに顧客から親しまれている屋号を変更するのは、なかなかの覚悟が必要となりそうだが…。
「Symphonik Wolfeの“Symphonik”は、Symphony(交響曲)から取っています。色々な要素が作用し合って奏でられる交響曲が、バランス良く生きていきたいという自分の感覚に合っていたので取り入れました。
“Wolfe”は、Way of Life(生き方)を縮めた造語。よく言われますが、狼という意味ではないんです(笑)。
ですが、石川県に靴磨き屋は僕以外にいないので、“一匹狼っぽいけど、実は全国にたくさん繋がりがあって、支え合っている人たちがいるんです”という裏テーマも自分の中にはありました。これは誰にも話したことがなかったですが(笑)。
そんな色々な想いのあるSymphonik Wolfeでしたが、読み方が分かりづらいという欠点があったので、店舗を出店する時には、読み方はこれしかないでしょうという屋号にしたかったんです。」
コンピューターに自分の身元を示す情報を入力し、接続を開始するという意味を持つ“ログイン”。
デジタル社会の現在、非常になじみのある言葉を屋号に選んだ理由とは?
「LOG IN(ログイン)という言葉の語源は、大航海時代に船の速度を測るために行っていた丸太を海に投げ入れる時の掛け声で、航海開始という意味で使われていたそうです。
出店のタイミングで、何かを開始する意味合いのある分かりやすい言葉としてピッタリでした。語源にまつわる話も、お客様に聞かれたらネタにできるので(笑)。
ローカルな街にお住まいの方からすると、靴磨きってトラディショナルで固いイメージがあるじゃないですか。
そういうイメージをほぐしてあげたくて、むちゃくちゃ恰好良くしすぎるよりは、少しハードルを下げてあげたいという思いから、聞きなじみのあるログインという言葉を選びました。」
屋号ロゴも、シンプルでスタイリッシュな仕上がりだ。
「今までは、デザインを全部自分でやっていました。でも、自分でやると自分では気づかないダサさがあるんじゃないかと思ったのと、小っ恥ずかしさもあったので、今回はプロのデザイナーさんと決めることにしました。」
「LOG IN-kanazawa-」がオープンしたのは、前身の店舗から徒歩3分離れた金沢市内の一角。
交通量こそ多いが、周囲には住宅が立ち並び、商業施設がないため人通りはほとんどない。
商売をするには少々不利になりそうな立地だが、相賀氏にとっては、その場所だからこその良さを感じているという。
「よく周りからは『もっと街中でお店を出せばいいのに』と言われることもあります。
ですが、実際に自分が商売をやっていて一番感じるのは、金沢では靴磨き屋に通りすがりで来る人はほぼいないということ。
ほとんどの方が予約をしてからご来店されるので、街中にあっても認知度が変わらない限り、集客面は今とたいして変わらないと思っています。
街中だと駐車料金がかかりますよね。靴磨きのためにコインパーキングを使うかと聞かれたら、結構際どいはずです。
ここは、駅前やファッション通りのようにビジネスマンがたくさんいるような場所からは少し外れていますが、現地の人は誰しも知っている道沿いなので、空いた時間に気軽に立ち寄ってもらえるようなお店を目指しています。」
前身の店舗は、ハイセンスなオーダースーツ専門店「the」の一部を間借りしていたこともあり、敷居が高く、初見ではなかなか入りづらいという弱点があった。
しかも、近所の人でさえ、「何のお店?」と思うほど外観が見つけにくく認知されておらず、それがニッチな業態である靴磨き屋というから尚のことだ。
そんな経験を踏まえているからこそ、「LOG IN-kanazawa-」では“入りづらい”というイメージを一新したいという想いが強い。
「新店舗は、元々入っていたのがインパクトのあるお店だったので、地元の人はみんなが知っている建物なんです。
外観は、車で走っていても中の様子が見えるようなガラス張りなので、一見さんでも気軽にご来店いただきたいですね。」
こだわり抜いた内観も、お客様が寛げるような空間作りを徹底した。
靴磨きをしている間、お客様が腰を掛けるのは靴磨き屋でよく見かける背の高いバーチェアではなく、座り心地の良いゆったりとしたロッキングチェアなので、さながらカフェにいるようなひと時を過ごすことができる。
店舗が変わったことで、訪れる客層にも変化がありそうだ。
「Symphonik Wolfeでは紳士でフォーマルなお客様が確かに多かったですが、意外と近所にお住まいの主婦の方も来てくださいました。財布やヒールを持ってこられることが多いので、女性でも遠慮せずにたくさん来てほしいです。
これまでは入りづらかったかもしれませんが、今のお店はカフェに行くような感覚で来ていただけると思います。
のんびりできるので、ご年配の方でも『これ見てくれ~』と気軽に来ていただいていますよ。」
紳士のみが集う場所というイメージが強かった前身の店舗でも、お客様のターゲットを絞ったことはなく、色々な人に来てほしいと話す相賀氏。
「LOG IN-kanazawa-」では、どんなお客様との出会いが増えてくるだろうか。
「以前の店舗に来てくれていたお客様は、パッと見て視認できる場所ではなかったので、少なからず何かで検索したり、誰かから話を聞いたり、情報を拾うことのできる人たちだったと思います。
北陸には同業他社がいないので、検索すれば“北陸で靴磨きといえば自分”というルートはできました。
そうであればこれからは、検索をしていない人に知ってもらうことが大切だと考えています。
道を通ったら“何やら新しい店ができているな”と気になって調べてもらえるようになれば、これまでよりも検索の幅が増えるはずです。
“靴磨き”というワードで調べるのではなく、“あそこ何ができたんだろ?”で調べてもらい、“こんな世界があるんだ!”と知る人を増やしていきたいです。
そのためにも視認性を良くしていきたいので、今後も店舗の見せ方はどんどんアップデートしていきます。
今まで興味のなかった人にどれくらい来ていただけるのか、今から楽しみです。」
物腰がやわらかく、ひとつひとつの質問にも丁寧に答えてくれる相賀氏。
穏やかな空間では、お客様との会話も大切にしている。何やら面白いエピソードがあるそう。
「お客様の中にはおしゃべりが苦手という方もいますが、そういう時は僕がしゃべるので安心してください。
お客様とおしゃべりすると、ビジネスの勉強にもなるのでついついスイッチが入っちゃうんです(笑)。
印象に残っているのが、20代前半の若い男性がジョンロブを持ってこられたことがあって。
お若いのに良い靴を持っているなと思い聞いてみると、フランス料理が好きで、ミシュランにも輝いた現地のレストランに行く予定だから靴を磨きに来たとのことでした。
靴が好きだからではなく、ドレスコードを守るためにわざわざ靴を買って磨きに来たというのが、すごく面白くて印象に残っています。」
「Symphonik Wolfe」では、オーダースーツ専門店「the」とのコラボイベントを定期開催し、靴好きの人々の集う場所を提供してきたが、新店舗をオープンさせた今後の展望も気になるところだ。
「石川県は靴の販売店が多いというお話を以前のインタビューではしましたが、それは量販店のことを指していて、有名ブランドや海外の靴が買えるような靴屋さんは少ないんです。
なので、体制が整えば革靴の扱いを始めて、本当の靴好きが集まるようなお店にしていくのも需要があるのではないかと考えています。
イベントの開催などは、まだ具体的に決めていません。企画を考えることがとても苦手で(笑)。
店内の空間が広々と使えるようになったので、ワークショップの開催とか、やりたいこと自体はいっぱいありますが、どうせやるなら自分じゃなければできないことを少しずつやっていきたいと思っています。
靴磨き屋を始めたのも、金沢で靴磨き屋がなかったから、いないなら自分がやろうと思ったのがきっかけなので、今後も自分で道を切り開いていきたいと考えています。」
今後の展望はまだ定まっていないと謙遜するが、相賀氏の目は力強く将来を見据えている。
自身と同じシューシャイナーを県内に育てていくという目標も、そのひとつだ。
「表立って言うことではないですが、人を雇うためには売上が安定しないといけない。まずはそこからだと考えているので、一番の目標は「LOG IN-kanazawa-」に来るお客様を増やすことです。
そのために修理も始めました。オールソールの張替えなど必需性が高い修理に関しては、嗜好性の高い靴磨きと比べるとこだわりを持つ方が少ないので、僕ひとりではなく複数人で依頼を承ることができると考えています。
修理屋さんよりも靴磨き屋さんの方がメディアにも取り上げてもらいやすいので、靴磨き職人として立派にスタッフを前に出せるようにプロデュースをして、良い人材を増やしていきたいと思っています。
一緒に働くなら、僕と違うお客様を掴まえられて、僕が持っていない能力を持っている人がいいですね。」
降水量の多い土地柄、なかなか浸透していない靴磨き文化を県内に広めるための活動にも抜かりがない。
靴磨きを通して、1人でも多くの人と出会いたいという相賀氏の熱意と、お客様を想う優しさが象徴された事業も展開している。
「地元のクリーニング会社の松本日光舎さんと提携し、県内の集配サービスを始めました。
忙しくてクリーニングを出しに行けないというお客様から衣類のクリーニングの相談を受けたときに、逆も成り立つのではないかと思いついたのがきっかけです。
他にも、Symphonik Wolfeで設置していた24時間お預かりができるポスティングサービスも継続しているので、営業時間外に預けたい方はぜひご利用ください。」
北陸地方で最難関の金沢大学に在籍中、ふとしたきっかけで靴磨きに目覚めてから10数年の月日を経て、独立した店舗を持つという一番の夢は「LOG IN-kanazawa-」として現実のものとなった。
完成したばかりの店舗に、たくさんの人々が訪れることを相賀氏は願っている。
「北陸の方は、コーヒーでも飲みに行くような、それくらいのテンションで遊びに来てください。
その場磨きは予約優先となりますが、予約せずに適当に来てもらうことも大歓迎です。
県外の方は、出張で来られた時にでもぜひお会いしたいなと思います。」
靴を愛する紳士が待つ「LOG IN-kanazawa-」へ、ぜひ一度足を運んでもらいたい。
旧店舗「金沢靴磨き Symphonik Wolfe」時代の取材記事もご覧ください。