名古屋では最古のホテルとして知られる、名古屋観光ホテルの1階に店舗を構えていた靴磨き屋・Chou Choute(シュシュット)。
オーナー・小川大地氏が、シューリペアサービス最大手で靴修理の経験を積んだのち、この場所でシューシャイナーとして独立を果たしたのは2018年9月のこと。
独立して5年という節目に、シューシャイナーとしての基盤を固めた名古屋観光ホテルを離れ、2023年8月1日に新天地にて「VINGIAN(ヴィンジアン)」をオープンさせた。
VINGIANがオープンしたのは、Chou Chouteから車で5分ほどの場所にある丸の内。ビジネス街だが、西には名古屋駅、南には栄と、名古屋を代表する繁華街が隣接している。
VINGIANが入居している第7KTビルは大通りに面し、車通りも人通りも多く、最寄りの丸の内駅から徒歩1分と駅チカなので、電車でも通いやすい。
「靴磨き屋というより、“レザーのトータルメンテナンスショップ”という位置づけになりたかったので、修理もその場で出来る広いスペースのあるテナントを探しました。
また、今までChou chouteを利用してくださったお客様のために、今後も気軽にご来店いただけるよう同じエリアでなるべく近い場所を選びました。」
第7KTビルの2階へ上がると、ガラス扉の店舗が目に留まる。
VINGIANという聞きなじみのない新屋号には、どんな想いが込められているのだろうか。
「VINGIANは造語ですが、“なぜ?という目的を持って選択する”という意味が込められています。
僕の好きな映画『マトリックス』のキャラクター・メロヴィンジアンからインスピレーションを受けて屋号にしました。
メロヴィンジアンが、『あなたたちは自分で選んだ道だとしても、目的意識がないから力を持っていない。目的を持っている人が強い』と討論するシーンがあるのですが、実は、ちょうど独立前の2018年頃にすごく悩み続けていた時期がありました。
母親が亡くなり、仕事も独立したいけど不安がある。この先どうしようかと考え込んでいた時に、たまたま観た『マトリックス』にハッとさせられ、背中を押されました。
靴に置き換えると、汚れたからちゃんと磨こうと思う人はまだまだ少ないですよね。
そんな中で、綺麗にしなきゃ、身だしなみをしっかり整えなきゃという目的意識がある人って素晴らしいと思います。
“靴を磨く”という選択をしたお客様の気持ちに応えられるように、僕はちゃんと導いてあげたいんです。」
頭の中にあるイメージを象ったロゴは、VINGIANの頭文字“V”が象徴的だ。
「Vという文字は、Vサイン、Victory(勝利)という意味を持つし、枝分かれしているようにも見えるのが選択肢みたいですよね。
Vに重なるように僕の指を描いてもらい、指差ししているのはChoice(選択)をイメージしています。昔から“選択”という言葉が好きなんです。」
屋号に込められた想いのままに、新天地でのスタートを切るという選択をした小川氏。
移転という大きな一歩を踏み出したのは、強い目的があったからだ。
「独立から5年が経つキリの良いタイミングで、新しい場所でチャレンジしたいという想いが高まり移転を決意しました。
ずっと靴磨きと修理を並行してやりたいという想いがあり、Chou Chouteの約4倍もある広いスペースで念願のお店をオープンすることができました。
Chou Chouteは、ホテルに入っているからちゃんとやってくれるだろうとか、ホテルが作り出すメリットもありましたが、時にお客様が求めているものとのギャップが生じることもあり、もっと自分が作りたい雰囲気を作ることにチャレンジしたいと思ったことが、移転を決めた大きなきっかけです。」
Chou Chouteは、わずか4坪という狭小スペースだったため自宅兼工房に修理機材を置き、預かり期間は1週間から10日ほどかかり、間に合わないものは外注に頼った。
現在は、店内で自身の手による修理が可能となり、ピンヒールやラバーヒールの張替えであれば30分程度で完了するので当日に引き取ることができる。
「当店をスマートに使ってほしいんです。午前中に靴を預けて、お仕事終わりに引き取りに来る。そういう無駄の少ない使い方を求めているお客様は結構多いです。
大切な靴が早く戻ってきたら嬉しいはずなので、スピード感を大事にしています。」
靴のみならず、バッグや革小物の修理においても、そのクオリティの高さから厚い信頼が寄せられている。
それこそが、シューリペアサービス最大手で靴修理のスキルを培ってきた小川氏と競合シューシャイナーとの圧倒的な差だ。
「独立した当初は、一般的な修理と磨く技術しかありませんでしたが、お客様に『こういうこと出来る?』と聞かれる度に、自分が出来ないことを出来るようにしたいという気持ちが強くなりました。
会社員時代は、出来ないことは何も考えずに出来ないと答えていました。正直、そこまでやるのは面倒くさかったし、やってもやらなくても給料は一緒じゃないですか。
だけど独立して、当店にわざわざ来てくれたお客様の期待に応えたいと思うのは普通のことだと思うようになりました。
やった分だけ自分に返ってくるし、期待以上を提供したいと思うのは当然のこと。
出来ないことを出来ないままにしていては、自分も成長しないという考えが僕の中に生まれました。」
自身を成長させるきっかけとなったのは、常連客とのこんなエピソードがある。
「ルイヴィトンの傘が、ポキッと折れてしまったと持ち込まれたことがありました。
コロナで厳しい時にも来てくれる常連さんだったので、なんとかその傘を直して恩返ししたかったんです。
専門外でしたが、色々な人に聞いたり、調べたりして直すことができ、『さすがだね』というお言葉を頂くことができました。
それ以降、直せる物を増やすために修理用ミシンなどの機材がだんだん増えていきました。」
お客様の期待に応えたいという気持ちは、修理だけでなく靴磨きにも反映されている。
Chou Chouteでは、クイックケアが1,650円(税込)と格式高いホテル内とは思えない良心的な価格設定だったが、VINGIANでもそのままの価格を引き継いでいる。
「僕の中では適正価格だと思っています。
靴って1足だけじゃないですよね。おそらくお仕事をされている方は5足以上普通に持っていると思うので、それをすべて定期的に持ってきてほしい気持ちもありますし、必要に応じて修理もやってあげたい。
そうすると、1足を綺麗にするのにかなりの金額になってしまうので、靴磨き1足にかけられる金額はこのあたりが適正かと。
その場磨きと預かりでお値段を変えているお店もありますが、分かりやすくするために当店はすべて一定価格にしています。」
とはいえ、Chou Chouteでは敷居が高いイメージを持たれることもあり、実際にセレブリティな層からの支持が多かった。
「僕の顧客様には、経営者や士業の方を始め、セールスパーソンやフルコミッションで働かれている身だしなみ意識の高い方が多いですが、逆に、靴マニアと呼ばれる方は圧倒的に少ないです。
だからこそ、良い物を知ってもらうきっかけを僕が作ることができるのではないかと思っています。
僕も元々は、セレクトショップに売っている2万円くらいの革靴を履いていたのに、今ではオールデンやシェットランドフォックスなど、高品質な革靴を好んで履くようになりました。
そんな風に、VINGIANという場所が、新しい世界を知ってもらう場所になれたら嬉しいです。」
Chou Chouteは、木目調の壁でロッジのような温かみのある空間だったが、VINGIANではそれが一転。
白を基調とした広々とした店内は、大きな窓から差し込む明るい陽射しが心地いい。
「高級セレクトショップのような清潔感のある店内に、木、スチール、錆び感のある装飾でヴィンテージ感を盛り込みました。
というのも、ここのビルが築50年のヴィンテージビルで、入るだけでも雰囲気があります。
清潔感・高級感を出しつつも、ビルの雰囲気に馴染ませるためにスチールを使うなどして工夫しました。」
Chou Chouteとはまったく違う店舗へと変貌を遂げたことが見て取れるが、小川氏の中では大きく変化させる気はさらさらない。
「ホテルが作り出すクラシックで格式の高いイメージがなくなっても、チェーン店のように敷居を低くしたいという意図はまったくありません。
例えば、色々な人に来てもらおうと思ったら、店外に“靴磨き・靴修理・何円です”みたいな張り紙をすればいいかもしれない。
だけど、僕はこのお店に来ることを特別なものに感じてほしいし、今まで通ってくれていたお客様はチェーン店のような雰囲気を求めていないので、来るべき人が来る雰囲気は絶対になくしたくありません。『わざわざ靴磨きをお店に依頼している』という特別な優越感をこれからも感じてほしい。
あえて2階にオープンしたのも、ちょっと特別なお店に足を踏み入れるような体験をしてほしいからです。」
特別感に浸れるのは、小川氏だからこそ叶えられる豊富なメニューの数々。
他店で断られてVINGIANに駆け込むお客様が多いことにも納得できる。
「イギリスのチャールズ皇太子に由来するチャールズパッチという、どうしようもならないひび割れなどで破損した部分に革を当てて再生する修理を得意としています。
ちなみに、パッチという呼び名が可愛くてどうも好きになれないので、僕はオーナメントと呼んでいます(笑)。
オーナメントに付随して、ミシンを使う修理も得意なのでご相談ください。
それ以外では、株式会社ルボウさんで講習を受けた後、独学で技術を習得したパティーヌも得意なので、ベルルッティのバッグや財布の染め替えの依頼を非常に多く頂いています。」
インタビューの途中、3年ほど前から月1回のペースで通っているという常連の男性客が移転祝いを持って来店され、店内に笑い声が響き渡った。
お客様の履いていたクロケット&ジョーンズのタッセルローファーには、クリームで仕上げたのちワックスを重ねて程よく光沢を出す〈スタンダード2,200円(税込)〉が施されることとなった。
「小川さんに出会ってから自分でも磨くようになったけど、一軍の靴は小川さんに磨いてほしいんです。」
“一軍ポジション”としてお気に入りだというローファーが見事な手さばきで磨かれていく中、小川氏はお客様とのコミュニケーションも大切にしている。
「お客様とは、プライベートの深い話ができるくらいの繋がりがあることも当店の魅力のひとつかもしれません。
靴磨きや修理に限らず、美味しいご飯のお店や、お客様同士を引き合わせてお仕事を紹介することもあります。
もちろん話す内容は相手のペースに合わせて、居心地の良い空間を作るように心がけています。コミュニケーションにおいてのチューニングはとても大切です。」
作業の最中に靴をしっかり目視し、機敏に最良のメニューを提示する。
こちらのお客様のローファーはヒールにキズがあったので、〈コバやすり550円(税込)〉をご案内した。
きめ細やかな作業で、あっという間にローファーは期待以上の仕上がりに生まれ変わっていく。
会話も盛り上がり、20分ほどでスタンダード仕上げが完了した。
さっそく履いてみるお客様からは、自然と笑みがこぼれ、カメラを向けるとポージングまで決めてくれた。
この日はこちらのお客様以外にも、Chou Choute時代からの常連客が定期的に来店され、小川氏の人望の厚さを垣間見ることができた。
どのお客様もチャームポイントである屈託のない笑顔で出迎え、丁寧にヒアリングし、最良のメニューに導いていく。
「トータルメンテナンスの提案力が、競合にはない当店の魅力だと思っています。
この靴にはどの修理が必要か、どんな部材が良いかと、色々な選択肢をお客様に提供する力に自信があります。
僕は基本的にお断りをしないスタンスなので、『このお店だったら何とかしてくれるかも』と、来たらすべて完結できるお店を目指しています。」
常に目的意識を持ち、自ら進む道を選択してきた小川氏が、今後実現させたい展望を語ってくれた。
「店舗が広くなったので、ワークショップや展示会などを当店で開催したい方を募集しています。
世の中には商売をしたい人がいっぱいいますよね。アクセサリー、バッグ、ネクタイなど、僕自身も靴関連以外の商品を展開していきたいと考えているので、条件が一致すれば物を売りたいという人に委託販売で場所を貸して、お互いのチャンスに繋げたいです。
当店は駅チカでアクセスが良いので、色々展開していくのにも好都合だと思っています。」
月に5件ほどの予約が入るという好評の靴磨き教室も継続して開催されているので要チェックだ。
終始、自然体な明るい笑顔でインタビューに応じてくれた小川氏。
靴や革製品だけでなく、何かの選択肢に悩んだ際は、小川氏の待つ「VINGIAN」を訪れてみてはいかがだろうか。
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