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靴磨き大会の歴史-1950年代のノースカロライナ靴磨き大会

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公開日:2024/10/17    /  最終更新日:2024/10/16

靴磨き大会の歴史-1950年代のノースカロライナ靴磨き大会

腕に覚えがあるシューシャイナーたちが集い競う靴磨き大会。
世界各地で開催されている靴愛好家の一大イベントで、日本でも11月に大阪の阪急うめだホールで日本大会決勝が行われます。

2014年にシューゲイジング主催でスタートしたスーパートランクショーから誕生したイベントと思いきや、そのルーツは1950年代のアメリカの小さな町にありました。

今回は、元祖靴磨き大会の開催秘話を、靴磨きにまつわるエピソードを交えてお届けします。


なお、本記事はシューゲイジングに掲載されているHistory – The 1950’s shoe shine contests in North Carolinaを意訳したものです。

1950年代、ノースカロライナ州ウィルソンですばらしい靴磨き大会が開催され、ある年には、大会史上最高となる12,000人の来場者を記録しました。
ロックコンサートさながらにシューシャイナーたちが観客の靴で靴磨きを実演、仕上がりの輝きとエンターテインメント性を兼ね備えた出場者が表彰されました。

今回は、靴磨き大会の愛すべき歴史をご紹介します。

2014年に第1回スーパートランクショーをスウェーデンのストックホルムで開催したとき、私と開催に携わった友人たちは、靴磨き大会のようなものを盛り込みたいと考えました。
かつて靴磨き大会が存在したことは知っていましたが、その実態にたどり着くのは困難でした。
そこで私たちは、制限時間は20分、新品の靴片足を磨く、使用する道具はワックスポリッシュ、ポリッシュクロス、ブラシ、ナイロンクロス、そして水というルールを定めました。

 

以来、スウェーデン、オランダ、アメリカ、そしてもちろん世界大会と、私が開催に携わったすべての靴磨き大会でこのルールが使用されています。
また、このルールの下で復活した新生靴磨き大会以降に日本、ロシア、ベルギー、チリなどで開催されているすべての他団体の大会で、基本的に同様の設定が使用されています。

このような大会では、芸術性を披露するシューシャイナーにお目にかかれることがあります。彼らは、靴磨きの達人であるだけでなく、真のエンターテイナーです。
にもかかわらず、70年以上前にノースカロライナで盛大に開催された靴磨き大会の出場者たちの比ではありません。

数年前、偶然この物語を知った私は、感銘を受けました。

ご存知かと思いますが、かつて、特に西洋では、街中、ホテル、駅などにシューシャイナーがあふれていました。しかも、歴史上はじめて写真に捉えられた人物は、シューシャイナーと靴を磨かれている男性でした。
ふたりが写っているその写真は、パリの街「タンプル大通り」で、1838年のある春の日の午前8時にルイ・ダゲールによって撮影されました。

ダゲレオタイプ(ダゲールが発明した世界初の実用的写真撮影法)の露光時間は数分必要なため、人々の動きが速すぎて捉えることができず、街にはシューシャイナーとその客以外はほかに誰もいないかのようです。

ダゲールが撮影した「タンプル大通り」で、歴史上はじめて写真にとらえられた人間は、シューシャイナーとその客でした。 出典:ルイ・ダゲール/ウィキメディア・コモンズ

靴磨きは貧困家庭の少年たちが多く、靴磨きで得た収入で家計を支えていました。
「シューシャインボーイ(靴磨きの少年)」という表現はそれに由来しており、長い間シューシャイナーの通称として(年かさの男性にも、女性にも)用いられてきました。

都市では、誰もがきちんと革靴を履いており、その多くが、男性だけでなく女性も、靴磨きの少年たちに定期的に靴を磨いてもらいました。

1949年、アメリカのソングライター、ハリー・ストーンとジャック・スタップが「チャタヌギー・シュー・シャイン・ボーイ」という曲を書きました。「ブギウギのリズムで布を躍らせて」客を楽しませるシューボーイの歌です。(シューシャイナーは、チップをはずんでもらうために楽しいリズムを刻むように靴を磨いたのです。)
とてもキャッチーなその曲は、フランク・シナトラやビング・クロスビーらが録音しましたが、最大のヒットとなったバージョンは、レッド・フォーリーが録音したものです。

下のライブ映像では膝を打って再現されていますが、レッド・フォーリーのオリジナル録音のベースとなるビートは、キャッチーな布をはたく音で作られています。

ノースカロライナ州のウィルソンという町のブラックコミュニティの中に、この曲のモデルとなったシューシャインボーイのボー・マッキャンを町に招いて興行することを思いついた人たちがいました。そして、さらにシューシャイナーたちを招いてステージで競わせることにしたのです。

地元のラジオ番組の司会者がこのアイデアを気に入り、電波を使って大々的にイベントの宣伝を行いました。
その結果、プロのシューシャイナーとアマチュアの2部門で競技することになりました。

イベント当日は、大勢の観客が集まりました。
何百人という老若男女がウィルソンのリード・コミュニティ・センターを埋め尽くし、ステージ上ではシューシャイナーたちが靴磨きとパフォーマンスの両方でしのぎを削りました。
なぜなら、ここでは、布を躍らせて会場を沸かせる技術と靴をピカピカに磨き上げる技術の両方が審査されたからです。

1950年にウィルソンで開催された最初の靴磨き大会の一場面。 出典:ブラック・ワイドアウェイク

2年後の1952年、ウィルソンのレクリエーション課と地元数店舗がスポンサーとなり、イベントは規模を拡大しました。来場者は1,200人を超え、州の各地から出場者が集まりました。
ボー・マッキャンが今回も出場、ほかの町のレクリエーションディレクター数名が地元で類似のイベントを開催すべく視察に訪れ、ライフ誌の記者とカメラマンが取材に来ました。

1952年開催のウィルソン靴磨き大会の出場者のひとり。

1,200人を越える大観衆。

ライフ誌カメラマンのジョン・G・ジマーマンが撮影した写真の存在が公になったのは、第1回大会の写真がインターネットに出回るようになってからです。
記事が掲載されることはありませんでしたが、ジョンの死後、父のアーカイブを調べていた娘のローラが写真を見つけ、イベントの存在を知りました。

彼女が画像をシェアすると、やがて地元のテレビ番組が、写真と靴磨きイベント、そしてプロ部門で3度の優勝を誇る靴磨き界の往年の大スター、カーティス・フィリップスについて特集しました。

プロ部門で3度の優勝を誇るカーティス・フィリップ。

プロ部門で3度の優勝を誇るカーティス・フィリップ。

大会制覇後のカーティス・フィリップスは、ウィルソンのチェリー・ホテルなどで30年にわたりシューシャイナーを続けました。
そのテレビ特集で、80歳になったカーティスはいまだ衰えぬ靴磨きの腕を披露しました。

ウィルソンに唯一残る靴磨きの店「ミスター・マジックのシューシャインパーラー」を経営していたかつての弟子マイケル・ムーアを訪ねたときのことです。店は数年前に閉店してしまいました。

現在、残念ながら、かつて靴磨きが盛んだった靴磨き大会発祥の地に、靴磨きを看板に掲げる店はもうありません。

これ以上そのような場所を失わないために、現在開催されているすべての靴磨き大会とこの技術を普及するすべての手段はきわめて有効なのです。

得点を協議する審査員。

得点を協議する審査員。

レッド・フォーリーの曲のモデルとなった「シューシャインボーイ」のボー・マッキャン。バンドの演奏をバックに靴磨きショーを披露中。 上5点の出典:ジョン・G・ジマーマン/WUNC

靴磨き大会について書かれた地元紙の記事。

靴磨き大会について書かれた地元紙の記事。

上2点の出典:ブラック・ワイドアウェイク

上2点の出典:ブラック・ワイドアウェイク


いかがでしたか。

生計を立てる手段であった靴磨きが、時代の移り変わりとともに認知度を増しエンターテインメントとなっていく過程は興味深いですね。
開催地や主催者は変わっても、技を競いつつ観客を楽しませるという靴磨き大会の理念は変わりません。
靴愛好家にとってなくてはならない技術の繁栄を願い、これからも大会を応援していきましょう!


 

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Le Beau
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